2013年12月15日日曜日

車輌 G1・G2制作秘話

共に製作したのは数年前になるが、G2の二輪から~三輪のトライクへの改造は茨城にある「佐久間エンジニアリング」で製作をお願いした。

↑中継車輌 G1(2輪オートバイ)
ベース車体は HONDA PS-250 だ

↑中継車輌 G2(3輪トライク)
ベース車体は SUZUKI IMPULSE だ

日本全国に何店舗かトライクの製作をされるお店があるが、私は「佐久間さん」を選んだ。実際に茨城の本社工場に行き、社長さんと会い、製作中の車輌を見て決定した。
日本でも有数の「高度な技術」と「豊富な経験」があるお店で、私は大好きである。しかし、熊本⇔茨城往復2800キロの車移動はしんどかった!!!

G1の全てとG2の残りの部分は、我が地元である熊本の「菊池輪業」で製作した。

この、菊池輪業・・・10代の頃から世話になっているバイク屋だが、とにかく凄い!「何がすごいの・・・?」と聞かれても表現に困るのだが、まずお店の外観・・・車屋さんなのかバイク屋さんなのか農機具の修理工場なのか全く分からない、店の隣には牛小屋が在り、敷地内をニワトリや猫、季節によっては青大将までウロウロしている。まず一元さんは入ってこないであろう。

先日も高校生が通学用の原付を持ってきて、恐る恐る「あっ、あの~、ここでパンク修理は出来ますか~?」と尋ねていた・・・勇気ある高校生だ!!!

4月のある晴れた日に訪れた別の若者は、御両親と一緒にカタログ持参で来店された。
若者は最近自動二輪免許を取得したらしくニコニコ顔で400ccのロードスポーツを購入希望だった。御両親も購入を了解されているらしく、微笑ましい風景であった。
が、しかしそこの大将は「お前にゃ~まだ早い。今、これに乗るなら何処かに飛んで行くぞ~」と言い。近くに置いてあったボロボロの250ccのバイクを指さし「これに乗っときなさい、そして、俺が大丈夫と思ったら新車を下してあげるから・・・」と不思議な参考意見を述べた。
きっと、大将は人生の中でオートバイの楽しさや、怖さを知っているのであろう。御両親も妙に納得され、しばし、会議となった。

ところで、あの若者は、夢の400ccのオートバイにたどり着いたのだろうか?

僕らが、現役でオートバイに乗っていた頃はHONDA車を中心として、お客さんのSUZUKI・KAWASAKI・YAMAHA・DUCATI・BMW・bimotaのスーパースポーツが並び、ここのお客さんだけでモーターショーが出来る程だった。
近くに、HONDAの熊本製作所もありライダーのたまり場であった。

昔、タレントの島田紳介さんが、鈴鹿の8耐に「チーム・シンスケ」で出られたと思う。その時のライダーである千石さんも、ここのお客さんだ。
もうお亡くなりになったが、女性ライダーの草分けである「堀ひろこさん」も訪れた事がある(ラベルダの1200)、みんな僕らの憧れであった。

展示車などはなく、特に販売用のバイクも置いていない。たまに工場の裏にヨットが置いてあったり、航空機のエンジンが転がっていたりした・・・実に不思議な光景だ。
今は、まるで古いハーレーの専門店の様になっている(当然、通常のバイクも扱っています)いつ行っても作業台に古いハーレーが乗りバラバラになって修理されている。
エンジンオーバーホール中のバイクの横では、良い豚肉が入ったと言い燻製が作られ、通路にはバーベキューのセットが置いてある。
店の奥では、工作機器が動き、部品を削り出し、溶接の火花が飛んでいる。
作業所の一角にはデカイ冷蔵庫があり、その横には製氷機が置いてあり、夏はかき氷の機械まで置いてある。
およそ、一般の人がイメージするオートバイ屋さんとはかけ離れているが、
オートバイに対する「情熱と知識」「本物の技術と工夫する技」を備えている。
やはり、菊池輪業は凄い!沢山の人が集まる、凄いバイク屋なのだ。
ただ・・・もう少し掃除してあると嬉しい。

前置きが、かなり長くなりましたが、G1・G2共にカメラボックスやバッテリーボックス・カメラマンステー・アンテナポール・ステップボード等全て、菊池輪業で鉄骨やアルミ板を切断し、油圧ベンダーで曲げ、溶接して、フライス盤でアルミを削り出し一つ一つ製作したものです。

G-BOX 林田


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